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専属メンバープロフィール

パス専属メンバープロフィール -Pass exclusive member profile-

松永 成立
1962年8月12日
静岡県生まれ
横浜F・マリノス
松永 成立 横浜F・マリノスGKコーチ
サッカーを始めたのは小学6年生。静岡県立浜名高校時代は全国高校サッカー選手権静岡県大会準優勝が最高成績だったが、その後進学した愛知学院大学で頭角を現し、1985年日本リーグの名門、日産自動車に入社。読みと的確な状況判断で、日産の黄金時代、史上初の3連覇に貢献した。1988年に日本代表入り。以来1995年までに40試合の国際Aマッチに出場し、日本代表のゴールマウスを護ってきた。1993年には「ドーハの悲劇」を経験。1995年横浜マリノス(現横浜F・マリノス)から、JFLの鳥栖フューチャーズ(現サガン鳥栖)、ブランメル仙台(現ベガルタ仙台)、京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)と移籍。常に闘志あふれるプレーで、チームを牽引してきた。2000年11月に惜しまれつつ引退。その後は京都パープルサンガのGKコーチに就任し、チームの最後の砦となるGKのメンタル面のケアを含め、Jリーグや日本代表として培ってきた豊富な経験に基づくコーチングで指導にあたり、2005年、シーズンを通して上位をキープしJ1復帰を果たした。 2007年から横浜F・マリノスのGKコーチに就任。

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手島 和希
1979年6月7日
福岡県生まれ
手島 和希 京都サンガF.C.アカデミーセンターコーチ
小学3年生からサッカーを始める。クラブチーム福岡イーグルスを経て、 高校は名門東福岡高校に入る。 3年生時はチームのキャプテンを務め、全国高校サッカー選手権、高校総合体育大会、全日本ユース選手権の3冠を制す。U-18日本代表のレギュラーに定着、卒業後は横浜フリューゲルスに入団。 翌1999年に京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)に移籍後すぐにレギュラーに定着。 同年に行なわれた 1999FIFAワールドユース選手権ナイジェリア大会では3バックの中央を務め、日本サッカー史上初の快挙となる準優勝に主力として大きく貢献した。ボールを持った相手へのすばやいアプローチなどディフェンス能力が高く、また抜群のラインコントロールでディフェンスラインを統率するセンターバック。2004シーズンは京都パープルサンガで副キャプテンを務め、2年ぶりのJ1復帰を果たした。2006年、ガンバ大阪に期限付き移籍後、再び京都パープルサンガに移籍し、2009年に引退。現在は京都サンガF.C.のアカデミーセンターのコーチを務める。

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黒部 光昭
1978年3月6日
徳島県生まれ

シーサイドフットサル徳島オフィシャルサイト
黒部 光昭 TTMカスタムズFC(タイ)
小学2年生でサッカーを始める。地元那賀川中を卒業後、高校サッカーの名門徳島商高に入学。徳島商業のエースとして臨んだ全国高校サッカー選手権大会では3年間決勝へ勝ち進むも、惜しくもすべて準優勝の成績だった。Jリーグのチームからの誘いもあったが、福岡大学へ進学。大学サッカー界屈指のストライカーとして活躍。4年生時にはユニバーシアード スペイン・マヨルカ大会に日本代表として出場。2000年、京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)に入団。2001年は41試合に出場し、J2得点ランキング2位の30得点をマークし、チームのJ1復帰への原動力となった。2002年の天皇杯では5試合で4得点と大活躍、天皇杯獲得に貢献した。また2003年3月のウルグアイ戦で日本代表に選出され、国際Aマッチデビューを果たす。強いフィジカルと打点の高いヘディング、正確なシュートを武器に2006年に浦和レッズに移籍し、J1リーグ優勝・天皇杯優勝の二冠を達成。2007年 ジェフユナイテッド市原・千葉(現ジェフユナイテッド千葉)、2008年 アビスパ福岡、2010年 カターレ富山、2014年 TTMカスタムズFC(タイDIVISION1)へ移籍。

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